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ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

手強い「冠詞」

さて、難関中の難関を取り扱わなくてはならないときがきた。
日本人にとっては「小さいくせにあちこちにいて悩まされる」まるでハエとか蚊とかダニのようなヤツ…と言ったら可哀想だが、「冠詞」…あのtheとかaとかanというやつだ。

別にこんなの間違えたって通じるからいいじゃん、と言う人もいる(と堂々と言える人はけっこう上達するタイプかもしれないが)。だがこういうものこそ、その根本の「キモチ」が分からないといつまでたってもピンとこないままだし、間違えても気がつきにくいからなかなか修正されないし、厄介者だ。前置詞の使い方とともに、日本人にとっての文法の難関としては双璧だろう。

かつて同僚のネイティブが話してくれたが、アメリカのとある家で、壁に掛かっていた絵が気に入った、とある日本人が、その絵を写真に撮りたいと思い
Can I take the picture?
と尋ねたが、もちろん家主は血相変えてNo! No!と断った…。彼は
Can I take a picture?
と言わなければならなかったのである。
the pictureと言ってしまったら、「壁に掛かっているその絵そのもの」を持っていく、という意味になってしまうのだ。

まあ文脈から分かる場合も多いかもしれないが、theとa/an、あるいはそういうものをつけないということの「差」がけっこう大きいことも多いのである。それどころか、冠詞こそ日本人の英語の間違いで一番気になる根幹的なものだと言う人もいる。かつてマーク・ピーターセンという人の書いた「日本人の英語」という本を読んだが、ここでは、冠詞は名詞のアクセサリーではなく、英語ネイティブの発想は、むしろ冠詞によって「意味のカテゴリ」がまず決まり、その後に適切な名詞を探す、という順序なのだ、と書いている。ここでも再三言っている、「先に来るものがより重要」という原則がここでも活きている(そのわりに、文頭に必ずくる「主語」は少なくとも意味上はそれほど重要じゃないのだが…。それについては別に述べるが)。
ともあれ、冠詞は日本人が想像している以上に実は重要であり、だがその重要性が認識できないぐらい日本語の発想は英語と違うわけなので、これをきちんと捉えるのは本当に至難の業であることも確かだ。

正直言って、私自身もこれを正確に捉えているとは言い難い。迷うことは多いし、無意識に間違ってしまうことも多い。だがこれを書きながら自分も勉強し直すつもりでトライしてみようと思う。

さて、基本中の基本をまず抑えておこう。

the(定冠詞)のココロ


「the」を使うのは、話し手と聞き手がともに、「具体的に『どれ』について話しているのか分かっている(あるいは間もなく/その気になれば特定できる)」状態の時である。
だから、つけるべきでないところに不用意にtheをつけてしまうと、ネイティブは混乱することもありうる。
「え? それって、私も知ってるべき[はずな]ことなわけ?」
たとえば
I met a very good-looking boy. とってもハンサムな男の子に会ったわ。
と言うべきところで
I met the very good-lookinig boy.
と言ってしまったら、相手は
「え? なんか私たち、前にそんな人のこと話題にしていたっけ?」
とうろたえるだろう。強いて訳せばtheを使った文は
「『例の』とってもハンサムな男の子に会ったわよ」
という意味になってしまうからである(もちろんそう言おうとしている場合もありうる)。

上述のマーク・ピーターセンさんもその種の間違いにネイティブは「イライラする」と述べている。いちいち「『例の』って、どれのことよ!」と思ってしまうのだ。冠詞について日本人の英語の間違いとして一番多いのが、この、つけるべきでないところにtheをつけてしまう間違いだそうだ。

まあ、なにもつけなければこのような誤解は招かないから、強いて言うなら、迷ったときはなにもつけない、という方針にしたほうがマシかもしれない。ただもちろん文法的には正しくない(後述するが)。

ともあれ、theには「相互共通認識」のキモチが強く入っている、これが原則。強いて訳すなら、上記のように『例の』である。マークさんのいう冠詞によってまず決まる「意味のカテゴリ」とは、ここでは「これから私もあなたもお互いに分かっているもののことについて言いますよ」ということなのである。

ただし、その場で実際にお互いが「そのものがどれであるのか」具体的には分かっていないように見える場合もある。だがそういう場合も、少なくとも「特定しようと思えば特定できる」または「自明のこととして分かる」という状態なのである。
I went to the postoffice.
と言った場合、相手はそれがどこにあるどの郵便局かまでは具体的に知らないだろうが、話し手が日常的に行く郵便局であるとか、その町にある郵便局であるとか、少なくともお互いの話の理解に支障のないぐらいには共通認識がある。
「どの郵便局のことよ?!」
なんぞという引っかかりは持たせなくて済むはずだ。

同じように、take the bus、 take the train という言い方はできる(これはa bus, a trainになる場合もある)。
ここでthe busと言えばやはり、話し手が例えばいつも家から職場に行くときに乗る路線のバス、であったりするはずだ。とにかくバスや電車は、路線というものが決まっているので、「その気になればすぐ特定」できるのである。

だがtake the taxiとは普通には言えない。なにか特定のタクシーのことを話題にしていた前提があって(たとえば運転手さんが歌を歌って楽しませてくれるとか、お菓子をくれるとかの特別サービスがあったり)ならI want to take the taxiとか言うことはあり得なくはないが、普通にはtake a taxiである。タクシーには路線がないからね。ここでthe taxiを不用意に使ってしまうと、
「どのタクシーなのよ!」
と聞き手は思うだろう。
だがもちろん、タクシーの中になにか忘れ物をしてしまったのでそのタクシーを見つけなきゃ、という場合なら I have to find the taxi.となる。

ここでもおわかりのように、taxiという単語に必ずaがつく、と決まっているのではない。
上述のように、マークさんの言うようにまず冠詞によってその文脈における意味のカテゴリを宣言しているのだ。
少し誇張気味とも言えるが、そのココロは、
theと言えば
「さああなたもわたしも知っているものごとについて語りますよ」
ということであり、a/anの場合は、
「さああなたはまだ知らないとあることについて語りますよ」
と宣言しているということである。
もちろんa/anは単数の可算名詞の前に来るという規則はあるが(そもそも英語というのは単数・複数とか加算とか不可算ということにも、やはり日本人では想像しきれないぐらいの重要性がある言語らしい。それも追々述べていくことになると思うが)。


a/an (不定冠詞)のココロ
上述のように、不定冠詞がまず決める「意味のカテゴリ」は、相手にとってはまだ未知のものごとを提示する、ということである。それも単数であるわけで、これは同種のものがいくつか、あるいはたくさんある中から、とりあえずそのうちのひとつをピックアップする、ということである。
平たく言えば
「いくつかあるうちの任意のひとつ」に「その場であらたに注目する」
というのが不定冠詞の基本のキモチだ。
上記のtake a taxiの例で言えば、町に走っている何台ものタクシーの中から、適当に1台を選ぶ、ということなのである。

theを強いて訳出するなら「例の」だが、a/anを強いて訳出するなら「とある」である。

マーク氏が言うように「冠詞は名詞のアクセサリーではない」。つまり、taxiという語にたまたまついている飾りに、たまたまそういう意味があるんですよ、ということではなく、「今わたしは、不特定多数のもののなかから、このひとつを選び出してそれをまだ知らないあなたの前に、さあ、提示しますよ」ぐらいの、かなり積極的で重要な意味がまずあるのである。

What a beautiful picture!
などという感嘆文にも必ず(単数であれば)a/anが入るのだが、ここにもやはり、有象無象の中からたまたまひとつ取り出してみたこれが!という「その場での新たな注目」のココロがあるのである。

だから、意味的には誤解まではされなくても、a/anがあるべき場所にない、という日本人の間違いも、ネイティブにはけっこう本質的な違和感を持って受け取られるものなのだ


さて以上が「基本中の基本」である。
だが実際には、「例外」(と見えるもの)が山ほどあって、それらを把握しなければならないのが厄介だ。しかし例外と見えるものも、実はこの基本に則っているものもたくさんある。というか基本的にはみんな原則通りであり、その運用が違うだけだ。

なにしろ冠詞についての話は、たぶんものすごく時間がかかるので、順番に少しずつ具体例を交えて取り上げていこう。

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